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Thursday, March 11, 2021

癒えない傷ありありと 生活・賠償支援ニーズは持続 - 朝日新聞デジタル

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が発生し、11日で10年がたった。山梨県内に避難した人たちに永住希望が増え、食料などの生活支援を求める人の割合も増えていることが支援団体のアンケートで明らかになった。原発事故の賠償を求める声も依然としてあり、今も癒えない「傷」と共に暮らす実態が浮かび上がった。

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 「東日本大震災・山梨県内避難者と支援者を結ぶ会」は震災が起きた2011年から調査を始め、今年1~2月に9回目の調査をした。対象者は原発事故を理由にした自主避難者が多く、約155世帯のうち56世帯が回答した。

 10年間の変化では、離れていた家族が一緒に暮らす傾向がみられ、子どもたちの「元気度」は増した。永住を望む割合は増加し、11年の調査の約3倍にあたる73%にのぼった。一方で、母子家庭や高齢の単身者を中心に困窮は続いており、食料・生活物資や住宅支援を強く求める割合が前年の調査より3ポイント増えた。

 原発事故の賠償支援のニーズも下がらない。多くが原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に申し立てるが、支援が不要と答えた人は2割弱にとどまり前年より11ポイントも減った。

 同会の藤原行雄事務局長は「申請する余裕がなかった人もいて、いまも相談が寄せられる。まだ納得していないし、終わっていない」と訴える。「大きな地震のたびにフラッシュバックに襲われる人もいる」と心のケアの必要性も指摘し、コロナ禍のもとで減った避難者らが交流できる機会を今後もつくっていく考えだ。

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 山梨県内への避難者らが11日、笛吹市春日居町鎮目の長谷寺に集まり、地震が起きた午後2時46分、故郷の犠牲者らをしのび手を合わせた。

 宮城県石巻市から笛吹市に避難した奥田耕也さん(73)は長谷寺で法要を重ねてきた。避難者の支援団体の呼びかけもあり、約10人が一緒に参列した。

 奥田さんは「復興というが以前のようには難しい。10年はいっときのよう」と振り返った。福島県南相馬市から韮崎市に避難した鍛治谷(かじうち)永(ひさし)さん(49)は「周りで亡くなった人の数は3ケタになる。一人ひとりをしのぶには時間が足りなかった」と言葉を詰まらせた。

 震災の翌年から毎年法要を続けてきた黒川宥元住職は「区切りがついたような報道もあるが10年たっただけ。いただいた命をつなげて過ごしていってほしい」と話していた。

 山梨県庁では半旗が掲げられ、午後2時46分には職員が黙禱(もくとう)をささげた。防災危機管理課の小沢清孝課長は「10年がたった現在でも県内に490人の避難者がいる。一日も早く心安らかな生活に戻れるよう支援したい」と話した。被災地への職員派遣も続いており、現在は岩手県に1人、福島県に2人が派遣されているという。

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 山梨県内で暮らす自主避難者の中には、最近になって東電に賠償を申し立てる人たちがいる。

 福島県国見町に自宅がある村上嘉子さん(57)は6年前、甲府市に当時小学4年生だった長男と避難した。仕事の関係で残った夫の薫さん(60)と離れる決断をした理由は、被曝(ひばく)リスクを下げたい、という思いだった。

 「放射線量は下がったとはいえ、通常の地域より高いまま。甲状腺がんの調査で私も異常が見つかった。山や川も除染されていない。のびのび遊ばせ、ストレスなく子どもを育てるために決めました」

 福島にいた時に原発ADRを申し立てようと準備をしたが、手続きが煩雑で中断。避難後は相談先もなく、生活を整えるのに必死で余裕がなかった。

 それでも、時効の期限が「10年」と知って気持ちが変わった。「家族をばらばらにした原因をつくったのは東電。責任を問い、逃げたことが間違っていなかったことを示したい」。昨夏、避難後の家賃や生活費など500万円超を請求した。

 しかし、年明けに示された和解案は、「下見」に要した30万円弱だけを賠償するという内容。避難後の費用は認められなかった。「金額が問題ではない。責任の取り方として納得できない。本当はお金なんていらない。すべてを元に戻してほしい」

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 原発ADRを含めた賠償請求の期限について、東電では「時効完成で一律にお断りをしない」としており、特例法の10年に縛られず柔軟な対応をすると説明している。(永沼仁、吉沢龍彦)

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